宇城地区社会教育委員連絡協議会総会 研修 |
宇土市保健センター |
皆さんこんにちは。
ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
今日は、7月7日、七夕です。カーラジオでは七夕にちなんで、「どんなことを星に願いをかけますか?」と言っていました。小さい頃はいろんな願いを短冊にしたため、竹の葉に飾りました。今、星に願いをかけたいのは何かと問われたら、台風8号が接近しないことです。7月に発生した台風ではもっとも大きな台風と言うことです。予報では最大級の備えをするようにと言っています。日本には近づかないよう祈りたいです。
少し自己紹介をします。ただいま、「中川ありとし」さんとご紹介いただきました。私の名前を「ありとし」と読んでいただく方はほとんどいません。そこで、私は紹介用のプロフィールには、ふりがなをふっています。「ありとしさん」とご紹介いただきありがとうございます。時々、講演に行きますと、私の名前を見て、「今日は女性の講師バイ」と思ってこられる方が中にはいらっしゃいます。私の名前を「中川ゆき」と読み、女性と思われるのでしょう。私は自分の名前が大好きです。父が名付けてくれました。「有」には「たもつ」という意味があります。「紀」は21世紀の「紀」で、「年」と言う意味があります。このことから父は、「歳を重ねるにつれて歳相応の人間になれ」という願いを込めて名付けたとよく言っていました。私は、6月25日生まれです。71歳になったばかりです。71歳の今でも父の思いの「歳相応の人間」にはなれません。生涯、学習せよと言う意味だなと思っています。
小さい頃は「ありちゃん」と愛称で呼ばれていました。この愛称も大好きです。少し自己宣伝になりますが、この愛称の「ありちゃん」を冠した「ありちゃんのホームページ」をネット上に開設しています。インターネットを活用していらっしゃる方、時間があるとき覗いてみてください。どなたからも見てもらえないので毎日自分で見ています。今朝も開いてみました。ヤフーでもグーグルでもトップに出ています。よかったら一度見てください。私がホームページを開設しましたのは、公民館講座でホームページの作り方を学んだことがきっかけです。
私が益城町の社会教育指導員をしていましたとき、公民館講座でホームページ作成講座が開設されました。課長に「私も受講していいですか?」と聞きますと、「どうぞ、受講して町や課を大いに売り出してください。」と言われたので受講しました。指導していただいた講師の先生や課員の皆さんの指導により、どうにかホームページを作ることができるようになりました。作ることができたら、見てもらいたいものです。そこでネットにホームページをアップロードしたのです。宴会後の2次会や3次会でカラオケに行くことがありますね。下手な歌でも誰も聴いていなかったら面白くありません。みんなが聞いてくれて拍手してくれるとうれしくなります。あれと同じで自分のことを認めて欲しいのですね。
私は旅行が好きで国内外に時々出かけます。特に中国にはよく行きました。旅行会社のツアーではなく、二人だけの個人旅行で。あるとき、「妻が中国に行こう。」と言います。私は「だったらどこの旅行会社のツアーで行くか調べにゃんたい。」と言いました。妻は「二人で行こうよ。」と言います。妻は公民館講座で長年中国語講座を受講していました。妻は自分の中国語が中国人に通じるかを確かめたいとの思いを以前から持っていました。また、昭和55年頃放映されていたNHK特集シルクロードを見て、私たちはシルクロードに興味を持っていました。それで、どうせ行くなら玄奘三蔵が仏典を求めてインドへ行った道、井上靖さんも書いているシルクロードを旅しようと、中国でも一番西にある新疆ウイグル自治区へ行っていました。自治区の首府があるウルムチを拠点として、トルファン、クチャ、コルラ、カシュガル、ホータンなどへ行きました。そのときの写真を掲載していますので、日本では見ない光景をたくさんアップロードしています。時間にゆとりがある時、御覧ください。今は、日中関係は冷え込んでいますが、私が出会った人は優しい人が多かったです。特に、ウイグル人は優しい人が多かったです。
横道にそれましたが、公民館は私たちの生活と切り離すことができない場だと思います。私と妻が公民館講座で学んだように公民館は学びの場でもあります。そこで、本日の講演題を公民館での学びを念頭にして「生涯学習時代における社会教育委員の役割」としました。
生涯学習という言葉は、フランスのポール・ラングランという人が昭和40年、国連で提唱したのが始まりです。ラングランはこれからの変化の激しい社会を生き抜く武器は「生涯学習、生涯学び続けること」だと説いたのです。
日本では生涯学習の考えは古くからありました。ラングランは社会の仕組みとしての生涯学習を提唱しましたがここで言う生涯学習は個人の学びのことです。よく知られていますのは「習い事」です。この個人的生涯学習の考えを表した言葉はたくさんあります。少し紹介します。
最初に紹介しますのは、孔子が弟子との問答を集めた論語です。今ではこの論語は、中国より日本の方がよく知れ渡っているのではないかと思います。過日の朝日新聞の川柳に、「かの国にほんとに孔子はいたのかな」というのがありました。最近の東シナ海・南シナ海での中国の傍若無人ぶりは目を覆うばかりです。習近平国家主席に「論語を読みましたか?」と問いたくなるのは私だけではないようです。
論語 為政第二-四
子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず。
生涯学習の神髄を言い表した言葉だと思います。また、この言葉から、志学とか而立、不惑、知命、耳順など年齢の呼び名にも使われています。
次は、鹿児島県島津家中興の祖と言われています島津日新斎の「いろは歌」です。島津日新斎は、15~16世紀、室町時代の人です。島津家家臣の生活の鏡になるものがこのいろは歌です。
古の 道を聞きても唱えても 我が行いに せずばかひなし
この歌は、学習と実践が結びつかねば学習の意味がないことを言っています。
はかなくも あすの命を頼むかな けふもけふもと 学びをばせで
この歌は、「用があるといってしなければならないことを明日に延ばし、明日は明日で疲れたといって次に延ばし、一向に勉強しないで日々を送るのは心得違いである。毎日毎日勉強しなさい。」という意味です。生涯学習の考えを言い表していると思います。
鹿児島に旅行されることがありましたら、以前は加世田市と行っていましたが市町村合併で南さつま市となりましたが、そこにある竹田神社を訪ねてみてください。境内に、いろは歌47首を刻んだ石碑が建っています。また、市の教育委員会に行きますと、いろは47首の歌を綴ったものをいただくことができると思います。
皆さんご存じの貝原益軒は江戸時代の儒学者です。「接して漏らさず」という言葉は有名です。「愼思録」に
人、生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。
学びて道を知らざれば、学ばざると同じ。知って行うと能わざれば、知らざると同じ。
故に人たる者は、必ず学ばざるべからず。学をなす者は、必ず道を知らざるべからず。
道を知る者は、必ず行わざるべからず。道を知ることは至りて難し。
があります。
「人間は学ぼうとしなければ、生まれなかったのと同じ。学ぶことを知ったけれども、人間として行うべき道を知らなければ、何も学ばなかったと同じ。知っていると言っても行わなければ、知らないより悪い。従って人間は、必ず学ばなければいけない。学ぼうと思う者は、必ず人としての道を知らねばならない。道を知っている者は、必ず実践がなければ本物ではない。人間としての道を知ることはなかなか難しいが、一所懸命努力して生涯を生きようではないか。」
という意味です。生涯学習の考えそのものです。
江戸末期の儒学者、佐藤一斎は「言志四録」で次のように言っています。
少而学 則壮而有為 (少くして学べば 則ち壮にして為す有り)
壮而学 則老而不衰 (壮にして学べば 則ち老いて衰えず)
老而学 則死而不朽 (老いて学べば 則ち死して朽ちず)
これも、生涯学習を表していますね。西郷隆盛の座右の銘とも言われています。
明治の福沢諭吉は「学問のススメ」で
「いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱等を心得、なおまた進んで学ぶ箇条甚だ多し」
と言っています。
武者小路実篤は、「桃栗三年、柿八年、達磨は九年、おれは一生」と言っています。まさに生涯学び続けねばならないと言っています。
吉川英治は、「我以外皆我が師」と言っています。
生涯学習の社会的仕組みに関する答申は、昭和46年に、社会教育審議会が答申「急激な社会の変化に対処する社会教育の在り方について」の中で、生涯教育の観点に立つ教育体系の整備を説いたのが始まりです。この頃は、生涯学習ではなく生涯教育と言う言葉を使っていました。答申では、「今日の激しい変化に対処するためにも、また各人の個性や能力を最大限に啓発するためにも生涯にわたる学習の機会をできるだけ多く提供することが必要」と述べています。
昭和56年の中央教育審議会答申「生涯教育について」の中で初めて「生涯学習」という言葉を使っています。「今日、変化の激しい社会にあって、人々は、自己の充実・啓発や生活の向上のため、適切かつ豊かな学習の機会を求めている。これらの学習は、各人が自発的意思に基づいて行うことを基本とするものであり、必要に応じ、自己に適した手段・方法は、これを自ら選んで、生涯を通じて行うものである。この意味では、これを生涯学習と呼ぶのがふさわしい。」と。
昭和59~62年、時の中曽根総理大臣の諮問機関でありました臨時教育審議会が「来るべき社会を生涯学習社会と位置づけ、生涯学習体系への移行」を提言しました。当時就職の際、何ができるかではなく、どこの大学を卒業したかが問われていたので大学進学に関する教育問題が社会問題となりました。この学歴偏重社会の弊害を是正するために生涯学習社会を提唱したと言われています。
平成18年に施行された教育基本法第3条に、「生涯学習の理念」が明記されました。
国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
このような経緯をたどった生涯学習も平成の初めの頃は、理解違いがたくさんありました。その中でも最も多かったのが、「今さら勉強なんて」「生涯学習って社会教育を言い換えただけのこと。学校には関係なか」「生涯学習ってひま人がすること。私ぁ忙しうてそれどころじゃなか」の3つでした。
「今さら学習なんて」と言いますのは、行政を始めいろんな機関が「生涯学習をしましょう」と呼びかけましたので、「やっと子育ても終わった。これからは自分の好きなことをして過ごそうと思っていたら、まーだ学習せーて言いいなはる。今さら勉強なんてしたくなか」というものでした。この声からいろんな事が思い起こされました。第1は、学習のとらえ方が机に向かって教科書・ノート・鉛筆で行うものという狭いとらえ方です。そこで、教科書・ノート・鉛筆を使って行う学習も生涯学習の一つですが、人の話を聞いたり、友だちと会話したり、旅行などでこれまで知らなかった事を知った、こんな事も生涯学習の一つですよと啓発しました。第2は、学習を「苦」あるいは「させられる嫌なもの」ととらえている人が意外と多いのではないかということでした。これは学校教育のあり方にも関係します。もっと学習を楽しいととらえることができるような学習指導のあり方を考えていかねばならないという反省でした。学ぶ喜びを体験させていなかったのではないと言う反省です。このようなことから「学校」や「学習」を「楽校」や「楽習」と表現することが一時期考え出されました。このようなことから本日、私の面白くない話を聞いておられることも生涯学習の一つです。
「生涯学習って社会教育を言い換えただけのこと。学校教育には関係なか」は、学校の先生に多くありました。これは、当時の文部省が生涯学習関係の仕事を所管する局を社会教育局とし、局名を「社会教育局」から「生涯学習局」と改めたことにより、県や市町村教育委員会でも「社会教育課」を「生涯学習課」と変更したところが数多くありました。このことが「社会教育を生涯学習と言い換えたこと。学校教育に関わっている自分たちには関係なか」と先生方に理解違いをさせてしまったのです。
このころ、旧七城町の生涯学習フェスティバルで七城小学校の先生がご自分の実践を発表されました。「明日は町の生涯学習フェスティバルで国語の授業で実践したことを発表すると言ったら、同僚から生涯学習って社会教育のことでしょう。どうしてあなたがそんな場で発表するの?と聞かれました。」と話されました。
発表内容は、国語の教科書に万葉の詩人、柿本人麿作、
東の野に 炎のたつ見えて かへり見すれば 月傾きぬ
があったそうです。この和歌を学習したあとで、先生は、こんなすばらしい和歌を読んで意味が分かっただけで終わりにするのはもったいないとの思いから、東の空の情景と西の空の情景を絵に描かせこの和歌を子どもたちに印象づけておきたいと思われたそうです。東の空は、「かぎろひのたつみえて」の文から、「山の端に今まさに陽が昇ろうとしている情景」でまとまったそうです。西の空は、「月かたぶきぬ」ですが、月の形で喧々がくがく議論が百出したそうです。満月あり、三日月あり、半月、それも上弦の月あり、下弦の月ありで。なかなかまとまらなかったそうです。
皆さんは、東の空に陽が昇ろうとしている時の西の空に沈む月はどんな月と思われますか?
皆さんも満月かな?三日月かな?と決めかねていらっしゃるようですが、この学級でもなかなか議論がまとまらなかったそうです。先生が「これまでの学習を思い出してごらん」と言おうとしたその時、一人の子が「先生、このような太陽と月の関係は4年生か5年生の理科で勉強した。明日、4年生と5年生の理科の教科書を持ってきて勉強し直しましょう」と提案したそうです。それで、翌日理科の教科書を元に勉強し直すと、東の空に今まさに陽が昇ろうとしている時、西の空に沈む月は満月だということを確認しあったと言うことでした。国語の学習を社会や理科、図工の知識を総動員して学習する、これは生涯学習の基礎作りです。このようなことを発表されました。現在では、「生涯学習=社会教育」、このような考えをお持ちの先生はいらっしゃいません。子どもたちに教える指針、学習指導要領には「生涯学習の視点に立ち」とか「生涯学習の基礎作りを担う」などと記してありますから。
3つ目の「忙しうして生涯学習どこっではなか」の理解違いです。確かに公民館やカルチャーセンターなどで学んでいらっしゃる方は、第一線をリタイアした人とか、時間にゆとりのある方が多いです。そこで、「生涯学習は暇人がすること」となったのです。ところが第一線で仕事をしている人ほど自分の職業能力を高めるために常に学んでおられます。例えば、農家の人は新しく農機具を購入すれば使い方を習わなければ動かすことはできません。私の従兄弟の一人は自動車の整備工をしています。ガソリン車からハイブリッド車、電気自動車と車が進化し、整備の仕方を常に学ばなければこの仕事はやっていけないと言います。スリが人に気付かれないように財布を盗む練習をすることも生涯学習の一つ、では何故公民館講座でスリ講座を開設しないか、それはスリという行為が反社会的行為だからとある大学の先生はおっしゃっていました。職業能力を高めるのも生涯学習の一つです。ですから忙しい人ほど生涯学習しなければならないのです。もちろん、公民館講座で教養を高めたり、楽器を演奏したり体を動かしたりして心豊かな生活を送るのも生涯学習です。
当時、文部省が生涯学習を広めるために、「カラオケも生涯学習」と例示したものですから公民館講座は、趣味などの個人の学習要求中心の時が一時期ありました。これを揶揄して「地域を忘れた社会教育は、後ろのお山に棄てましょか」という戯れ歌が流行りました。公民館講座は、地域を忘れては公民館講座とは言えないと思います。それは、住民の皆さんは町の税金で学ばせてもらっているのですから。私は、公民館講座は市町行政の必要課題、例えば、人権問題でありますとか環境問題、福祉問題、今の課題は学校支援ボランティアの養成などが挙げられます。これら行政の側から見た必要課題と住民の要求課題とを織り交ぜたものを開設すべきだと考えます。これが地域に根ざした公民館活動だからです。
私たちは、学ぶことで新たな知識を身につけたり、学びの喜びを発見したり、新たな自分に出会うなど、満足感や達成感を味わいます。人々は学んで身につけた知識や技能を地域に還元することで自分も地域づくりに役立っていることを実感します。学校応援団活動もその一つです。これらを自己実現と言います。また、地域づくりや学校支援ボランティア活動などをすることによって新たな学びの課題が生まれます。
皆さんの中には、矢部町の通潤橋見学に行かれた方もいらっしゃることでしょう。通潤橋は江戸末期、矢部地方の惣庄屋布田保之助が白糸台地に水を送るために私財をなげうって建設した水を通す石橋です。この通潤橋が社会科の教科書に掲載してありました。秋になると、県内各地の小学生が通潤橋の現地学習に行きます。宇城地区の子どもたちも学習に行くと思います。先生方は事前に学習をして子どもを引率されますが、現地説明を求められます。そこで、教育委員会事務局員が説明に出かけていましたが、毎回、説明に出かけると教育委員会事務局員としての本来の仕事ができません。誰か案内してくれる人がいないものかと探しているところに、当時、矢部町教育委員会主催の長寿大学で学んでいる人たちが、「自分たちは町の税金で勉強させてもらっている。恩返しをしたいものだ」と思っていたのです。長寿大学では矢部の郷土史を勉強していました。その中で、通潤橋についても学んでいました。町への恩返しに、「学びの成果を活かして通潤橋の案内ボランティアをしてみようか」ということになり、教育委員会事務局職員の思いと長寿大学で学んでいる人の思いがぴたりと重なりあって通潤橋案内ボランティアが誕生したのです。案内ボランティアの方は、腕に腕章をつけて案内をしています。長寿大学で学んだことや自分で学習したことを元に説明するのですが、説明していると自分の学習範囲外のことも質問がとんできます。阪神淡路大震災後のことです。見学に来た子どもから、「阪神淡路大震災のような大きな地震があっても通潤橋は大丈夫ですか?」と質問があったそうです。案内ボランティアの人は、「江戸末期から今日まで厳然として残っている通潤橋だから大丈夫」と答えようかと思ったそうです。しかし、自分でも自信がなかったので、「私はそこまで勉強していません。自信を持って大丈夫ですとは言えません。調べ直して手紙で知らせることでいいですか?」と質問した子どもに言うと、「よろしくお願いします。」という返事だったので矢部町にある資料や県立図書館の資料を調べ、勉強し直したそうです。調べていくうちに、通潤橋が完成してまもなく安政南海大地震が起き、その大地震にもびくともしなかったことが分かったそうです。このことを文章にして学校に送ったということです。このように矢部町の通潤橋案内ボランティアの方達は生きがいを持って案内をしています。これが生涯学習によって自己実現を図ることです。「生涯学習で学んだ成果を生かしてボランティア活動をすることによって新たな学習課題が見つかる。その課題解決のためにまた学ぶ」これが生涯学習とボランティアの関係です。
このような学習成果を生かしたボランティア活動が、今、県下各地で行われています。この生涯学習によって得た知識や技能を地域に還元する取り組みが地域づくりにつながります。学校支援活動の拡がりが地域の子は地域で育てるという意識につながります。これまで何げなく子どもを眺めていたのが、遊んでいる子を見て自分にも何か子どもの育ちに役立つことはなかろうかとなるのです。県北の放課後子ども教室の指導をしている方の話です。これまでは散歩中、落ちているドングリを見ても何とも思わなかったのに子ども教室の世話をするようになって「おっ、今度の子ども教室でドングリ駒を作ろう」などと見える景色が変わってきたとおっしゃっていました。
住民の主な学びの場は、公民館です。社会教育法第20条に公民館の役割が規定してあります。
○社会教育法第20条(目的)
公民館は、市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もつて住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする。
つまり、公民館は地域の学習拠点としての機能、地域の家庭教育支援拠点としての機能が求められています。また、地域づくりの推進や学校、家庭、地域社会との連携を推進する場です。
このような公民館機能を発揮する公民館活動の活性化を図る仕掛け人が公民館運営審議員であり、社会教育委員の方々です。ほとんどの市町村が公民紺運営審議員を社会教育委員が兼務していらっしゃいます。皆さんもそうですか?
社会教育委員の役割も社会教育法に規定があります。ただ私はこの社会教育法には不満があります。
社会教育法第15条(社会教育委員の構成)を見てください。
都道府県及び市町村に社会教育委員を置くことができる。
2 学校教育及び社会教育の関係者、家庭教育の向上に資する活動を行う者並びに学識経験者の中から、教育委員会が委嘱する。
「社会教育委員を置くことができる」です。「置かねばならない」でも「置くものとする」でもありません。ですから、社会教育委員が置かれていない自治体もあるやに聞いています。これは元々社会教育そのものが住民の自発的行為であって義務や強制ではないことから由来しているのでしょうけど今の時代にそぐわないような感じです。現に、青森市では社会教育委員的職務を果たしている委員がいたので置いてなかったそうです。それを現市長が社会教育委員の必要性を痛感して置くようになったそうです、
その社会教育委員の必要性、職務については
○社会教育法第17条(社会教育委員の職務)
社会教育委員は、社会教育に関し教育長を経て教育委員会に助言するため、次の職務を行う。
・ 社会教育に関する諸計画を立案すること。
・ 教育委員会の諮問に応じ意見を述べること。
・ 前項の各職務を行うために必要な研究調査を行うこと。
2 教育委員会の会議に出席して、社会教育委員自らが意見を述べることが出来る。
3 市町村の社会教育委員は、教育委員会から委嘱された青少年教育の特定事項について社会教育関係団体、社会教育指導者に対し助言・指導をすることができる。
と規定があります。
私はこの規定から、社会教育委員は社会教育行政と住民をつなぐ架け橋であり、行政施策の押し売りであり住民の学習要求の御用聞きであり、市町村行政の必要課題を住民の要求課題へとつなげる仕掛け人であると思っています。
先ほど公民館講座が住民の要求課題である趣味・教養でしめられていることを皮肉って「地域を忘れた公民館は浦のお山に棄てましょか」の戯れ歌を紹介しました。このようにならないためにも市町村行政の必要課題、つまり行政が住民に学んで欲しいと思っていることを住民に伝えて欲しいのです。
ちょうど1ヶ月前、人吉市の高校生が人吉市の山道でシートに包まれ遺体となって発見されました。なぜ事件に巻き込まれたのか詳しいことは私には分かりませんが、報道によりますと高校生は犯人とネットで知りあったそうですね。ネットで知り合うなんて一昔前までは考えられなかったことです。一昔前までは考えられなかった事件です。人吉の高校生が関西に住む犯人と知り合ったのですから。昨年10月に起きた、東京三鷹市の高校生が京都に住む犯人から殺害された事件の時もこう言われました。ネット社会では、簡単に誰とも知り合いになることができるのです。とっても便利な携帯電話やスマートフォンですが、使い方によって命までなくしてしまうのです。ネット依存症という言葉があります。スマートフォンや携帯を1日何時間以上かをつかっている人を言うそうですがそのほとんどは中・高校生だそうです。そのはずでしょう。メールが届いたら数分以内に返信しないと人間関係がおかしくなるというのですからいつも手元に置かねばならないのです。ご飯食べるときも、中には風呂に入っているときも工夫して近くに置いている人もいるそうですよ。私は、これまでこのようなネットの使い方は家庭内で解決する問題だと思っていましたが家庭だけでは解決しません。メールにすぐに応えねば人間関係がおかしくなるというのですから。学校をあげて、まちをあげて携帯やスマートフォンの使い方のルールを決めなければ解決しません。PTAでルールについて話し合うのは今でしょう。このようなことを教育委員会やPTAなどに提言してください。現在の青少年教育の最重要課題として。
5月、天草市教育委員会生涯学習課の方と学校支援ボランティアの養成の必要性を話し合いました。このとき、「市の社会教育委員の会から学校支援ボランティア養成の必要性の提言をいただきました。養成を検討しています。」とありました。
社会教育関係行政の方、どうぞ社会教育委員さんへ我がまちの社会教育活性化方策を諮問してください。社会教育委員の皆さんはその諮問に対して、調査研究を重ね答申してください。もし、諮問がなければ、提言をまとめ建議してください。山鹿市の社会教育委員さんは毎年、建議しているそうですよ。
先ほども申しましたが現在の行政の必要課題の一つは学校ボランティアを養成することです。今、ほとんどの学校では地域の人が学校応援団の一人として先生と協働して子どもたちの学習を支援しています。国語や算数などの学習から稲作などの体験活動、昔遊びなどまで。しかし、学校応援団の課題は、高齢化、固定化、減少化です。私も益城町の小学校のクラブ活動でちょんかけごまを教えています。先ほど言いましたように私は71歳です。いつまでもボランティアとして昔遊びを教えることはできません。今、後継者を作らなければ昔遊びは途絶えてしまいます。先日、日本ウナギが絶滅危惧種に指定されました。ウナギと言えば、私たちが少年時代は、川や田んぼの井手でウナギてぼやてんびんで捕っていたでしょう。それが絶滅危惧種ですよ。今は昔遊びを指導する人がたくさんいらっしゃいますがいつまでも指導できません。今後継者を育てなければ昔遊びができる人はいなくなります。こういう意味から昔遊びを指導できる人も絶滅危惧種なのです。公民館講座などで後継者を養成して欲しいと思います。
教育基本法13条に「学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする」とありますことから「地域の宝である地域の子は地域で育てる」の機運が高まっています。文部科学省の諸施策でもコミュニティ・スク-ルの設置や学校・家庭・地域連携協力推進事業で、放課後子ども教室や学校支援地域本部事業が推進されています。県でも熊本県版コミュニティ・スク-ルや学校を核とした地域の寺子屋が推進されています。これらの事業の良さは、教員や地域の大人が子どもと向き合う時間が増える、学校や地域の教育活動のさらなる充実が図られる、住民が自らの学習成果を生かす場が広がる、地域の教育力が向上するなどが考えられています。
私は、「子どもは、家庭で育ち、学校で学び、地域で伸びる」が持論です。少子高齢化の時代です。これからは学校を核とした地域づくりが主となると思います。その主役は住民です。それは学校支援によって、人々が生き生きと生活でき、一人一人が高まり地域が活性化することにつながるからです。地域が活性化するとは、住民一人一人がここに生まれて良かった、ここで生活できる喜びを実感していることです。これを子どもも実感するのです。子どもは、地域の人から見守られていることを実感しています。その実感が自尊感情の醸成につながっています。さらに、子どもたちは学校支援ボランティアを自分の将来像と見ています。これがこれからのまちづくりだと私は思います。
今申しましたことは、益城町のある小学校の子どもたちの学校支援ボランティアへのお礼の手紙から推察できます。
・「字が上手だね。読みやすいなー。」と言ってくれてうれしかった。
・1問間違えた時、「あとちょっとだね。」と言ってくれてうれしかった。
・「がんばったね。」と言ってくれてうれしかった。
・「もちょっと丁寧に書くと、読みやすいよ。」と言ってくれてうれしくなりやる気が出てきた。
・「おはよう、行ってらっしゃい。」とか「お帰り、学校楽しかった?」と聞いてくれたりしてとてもうれしいです。
・(ボランティアは)お仕事ではないのに自分から進んでやるなんて本当にすごいし、かっこいいと思います。今度から僕も進んでゴミを拾ったりしたいと思います。大人になったらボランティアをしたいです。
時間となりました。論語の一節を紹介して終わりとします。
論語 郷党第十-十に
郷人飮酒、杖者出、斯出矣。郷人儺、朝服而立於阼階。
「郷人の飲酒には、杖者出ずれば、斯に出ず。郷人の儺には、朝服して阼階に立つ」と読みます。
これを、下村湖人は次のように訳しています。
「(孔子様は)村人と酒宴をされる時でも、老人が退席してからでないと退席されない。村人が鬼やらいにくると、礼服をつけ、玄関に立ってそれをむかえられる。」と。
このことを佐々木常夫さんは、孔子は、老から壮へ、壮から青や幼へと体験や知識が受け継がれていくことによって社会は発展していくと考えていたと言っています。そして年齢を重ねた人はそれなりの知識や経験があり、社会はそれを大事にしていかねばならないと訴えています。
社会教育の活性化はまさにこの言葉につきると思います。
宇城地区社会教育委員の皆様のますますのご活躍と宇城地区社会教育の充実発展を祈念しまして話を終わります。ご静聴ありがとうございました。